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訪問看護ステーションのM&A|指定の承継と売却相場

「利用者さんやスタッフのことを考えると、事業をこのまま畳むわけにはいかない」「後継者が見つからないまま、自分の体力・気力だけが先に限界を迎えそうだ」——訪問看護ステーションを経営する中で、こうした葛藤を抱えている経営者は少なくありません。訪問看護は地域の在宅医療を支える重要なインフラである一方、多くの事業所が小規模で運営されており、経営者一人に業務と責任が集中しやすいという構造的な課題を抱えています。
後継者が身内や職員の中に見つからず、かといって事業を畳めば利用者の受け皿がなくなり、スタッフも職を失う——そうした八方塞がりの状況を打開する選択肢として、近年注目されているのが第三者への譲渡、いわゆる「M&A」です。M&Aと聞くと大企業同士の話のように感じるかもしれませんが、実際には数名〜十数名規模の訪問看護ステーションでも数多く実施されており、事業と雇用を次の世代へつなぐ現実的な手段になっています。
そこで本記事では、訪問看護M&Aの基礎知識から、業界特有の市場動向、メリット・デメリット、譲渡の流れ、企業価値評価の考え方、そして訪問看護業界ならではの注意点まで、売り手経営者の視点で体系的に解説します。
この記事の監修者

森沢 雄太
一般社団法人
M&Aセカンドオピニオン協会
代表理事
外資系銀行でのウェルスマネジメント業務を経て、日本M&Aセンターに入社。譲渡側アドバイザーとして100件超の成約に関与し、野村證券出向や福岡支店立ち上げも経験。2018年に日本投資ファンド立ち上げに参画し、投資先の再生にも成功。2022年、合同会社M&Aプレップを創業し、仲介会社・ファンドへの支援やオーナー向け売却準備、買収支援など幅広く展開。2024年には売却支援事業拡大のため株式会社企業経営支援機構を設立し代表に就任。加えて、M&Aにおける利益相反や情報格差の是正を目的とし、代表理事として一般社団法人M&Aセカンドオピニオン協会を設立。
訪問看護M&Aとは|基礎知識と押さえるべき全体像
訪問看護M&Aとは、訪問看護ステーションの経営権や事業そのものを、第三者である企業や個人に譲渡する取引の総称です。M&A(Mergers and Acquisitions)は本来「合併と買収」を意味する言葉ですが、中小企業の実務では、株式譲渡や事業譲渡を通じて経営を第三者に引き継ぐ「第三者承継」全般を指す言葉として使われています。
対象範囲としては、単独の訪問看護ステーションの譲渡だけでなく、複数拠点を展開する法人グループ全体の譲渡、訪問介護や居宅介護支援事業所などを併設した複合型事業所の一括譲渡まで、規模やスキームはさまざまです。混同されやすい「事業承継」との違いも押さえておく必要があります。事業承継は親族内承継・従業員承継(社内昇格)・第三者承継(M&A)の3類型を含む上位概念であり、M&Aはそのうちの1つの手段という位置づけです。後継者不在に悩む経営者にとって、M&Aは事業承継を実現するための具体的な選択肢の1つと理解すると整理しやすくなります。
M&A全体の基礎知識をあらためて整理したい方は、以下の記事もあわせてご覧ください。

訪問看護M&Aで用いられる主な手法
訪問看護M&Aでは、主に「株式譲渡」と「事業譲渡」という2つのスキームが用いられます。株式譲渡は、法人の株式(持分)を買い手に売却することで経営権を移転する手法で、法人格はそのまま存続します。事業譲渡は、訪問看護事業に関する資産・契約・従業員などを個別に買い手へ移転する手法で、法人格自体は売り手側に残ります。それぞれに指定手続きや契約関係の引き継ぎ方法が異なるため、詳細は後述の比較で解説します。
このほか、複数の訪問看護ステーションを運営する企業同士が経営統合する「合併」や、グループ内の一事業を切り出して譲渡する「会社分割」が用いられるケースもありますが、中小規模の訪問看護ステーションでは株式譲渡・事業譲渡が実務上の中心です。
なぜ今、訪問看護業界でM&Aが増えているのか
訪問看護業界でM&Aが増えている背景には、複数の要因が重なっています。第一に、超高齢社会の進展により在宅医療・在宅ケアの需要が年々拡大していることです。第二に、経営者の高齢化と後継者不在です。帝国データバンクの「全国『社長年齢』分析調査」(2024年調査)によれば、全国の経営者の平均年齢は60.7歳に達しており、同社の「全国『後継者不在率』動向調査」(2025年調査)では全国・全産業の後継者不在率が50.1%と、依然として半数近い企業で後継者が定まっていない状況が続いています。訪問看護ステーションの多くは経営者個人の力量に依存した小規模運営であり、この後継者問題の影響を受けやすい業種の1つといえます。
第三に、看護師確保の難しさです。訪問看護は病棟看護と異なり、利用者宅への単独訪問や オンコール対応など特有の負担があり、人材確保・定着に苦労する事業所が少なくありません。単独では人材採用や労務管理の体制強化が難しい事業所が、経営基盤の強い法人グループに加わることで、採用力・研修体制・労働条件の改善を図る動きも広がっています。第四に、参入障壁の低さゆえの競争激化です。訪問看護ステーションは比較的少ない資本・人員でも開設できるため新規参入が相次ぐ一方、小規模事業所同士の競争が激しくなり、単独での生き残りが難しいと判断する経営者も増えています。
訪問看護業界の市場動向|事業所数の推移と経営環境
M&Aを検討する上で、まず押さえておきたいのが業界全体の市場動向です。一般社団法人全国訪問看護事業協会が公表した「令和7年度 訪問看護ステーション数調査結果」(2025年6月13日発表)によれば、2025年4月1日時点で稼働している訪問看護ステーションは全国で18,754事業所となり、前年から1,425事業所(約8%)増加しました。2012年の診療報酬・介護報酬同時改定以降の13年間では、事業所数はおよそ3倍に拡大しており、年平均の成長率は8.8%に達しています。在宅医療の需要拡大を背景に、訪問看護市場は他の医療・介護分野と比較しても高い成長を続けている領域です。
訪問看護ステーション数の推移
事業所数の増加は新規開設が大きく牽引しています。同発表によれば、直近1年間の新規開設数は2,487件と過去最多を記録しました。地域包括ケアシステムの推進や在宅医療へのシフトを背景に、医療機関や介護事業者だけでなく、他業種からの新規参入も含めて開設が相次いでいる状況です。
一方で、都道府県・指定都市・中核市等の指定権者への指定申請や運営基準(人員配置・設備基準など)は法令で定められており、開設後も安定した経営を続けるには、看護師の確保・定着や利用者数の積み上げが不可欠です。市場全体が伸びているからといって、個々の事業所の経営が自動的に安定するわけではない点には注意が必要です。
増加の裏で進む小規模事業者の経営難
意外と見落とされがちなのが、事業所数の増加と同時に、廃止・休止に至る事業所も過去最多水準で発生しているという事実です。前述の発表では、直近1年間の廃止数が886件、休止数が355件と、いずれも過去最高を記録しています。訪問看護ステーションは新規開設のハードルが比較的低い一方、看護師確保の難しさや利用者数の伸び悩みから、開設後数年で経営が立ち行かなくなる小規模事業所も一定数存在するのが実情です。
黒字であっても、経営者が高齢化し「後継者が見つからない」「これ以上の責任を負い続けるのは難しい」と判断して事業を畳むケースも指摘されています。こうした状況を踏まえると、経営が安定しているうちに第三者承継の選択肢を検討しておくことは、事業と雇用を守る上で現実的な備えといえます。
訪問看護M&Aの手法と違い|株式譲渡と事業譲渡の比較
訪問看護M&Aの中心的な手法である株式譲渡と事業譲渡は、それぞれメリット・デメリットが異なります。どちらを選ぶかによって、税務上の扱いや指定申請の要否、契約関係の引き継ぎ方法が大きく変わるため、早い段階で両者の違いを理解しておくことが重要です。
株式譲渡の仕組みや手続きの詳細については、株式譲渡で詳しく解説しています。
株式譲渡と事業譲渡の比較表
| 比較項目 | 株式譲渡 | 事業譲渡 |
|---|---|---|
| 譲渡対象 | 法人の株式(持分) | 事業に関する資産・契約・従業員等 |
| 法人格 | 存続する(経営者のみ交代) | 売り手法人に残る |
| 指定の扱い | 原則、指定の再取得は不要(変更届で対応) | 新規指定が必要になるケースが多い |
| 契約関係の引き継ぎ | 包括的に承継される | 契約ごとに個別の同意・巻き直しが必要 |
| 売り手の税負担 | 個人株主の場合、譲渡所得に対し20.315%の申告分離課税 | 法人税等(譲渡益に対する課税) |
| 手続きの複雑さ | 比較的シンプル | 資産・契約の切り分けが必要でやや煩雑 |
訪問看護ステーションは介護保険法・健康保険法の双方に基づく指定を受けて運営されているため、実際に必要となる届出や指定申請の内容は、指定権者(都道府県・指定都市・中核市等)や個別のスキームによって異なります。上表の整理はあくまで一般的な傾向であり、譲渡の実務にあたっては事前に管轄の指定権者へ確認しておくことが欠かせません。
株式譲渡の売却対価にかかる税率20.315%(所得税15.315%+住民税5%、申告分離課税)は、個人株主が株式を譲渡した場合に国税庁が公表する制度に基づき適用されるものです。売り手が法人の場合は、譲渡益が法人の所得に合算されて法人税等の対象となります。どちらの手法が有利かは、譲渡主体(個人か法人か)や譲渡対価の水準、法人の財務状況によって変わるため、税理士等の専門家に個別に確認することが欠かせません。
どちらを選ぶべきか
小規模で単独の訪問看護ステーションを運営している場合は、指定の再取得が原則不要で手続きが比較的シンプルな株式譲渡が選ばれる傾向にあります。一方、訪問看護以外の事業も含む法人の一部門だけを譲渡したい場合や、買い手が特定の資産・契約のみを引き継ぎたい場合には、事業譲渡が選択されることもあります。いずれの場合も、指定申請の要否や必要な行政手続きは自治体や個別の状況によって異なるため、早い段階で行政窓口やM&A支援機関に確認しておくと、譲渡後のトラブルを避けやすくなります。
訪問看護M&Aで売り手が得られるメリット
第三者への譲渡を選ぶことで、売り手経営者にはいくつかの具体的なメリットがあります。
資金確保と創業者利益の実現
長年にわたり経営してきた事業には、有形無形の価値が積み上がっています。M&Aによって事業を譲渡することで、その価値を対価として受け取り、引退後の生活資金や次の事業への投資資金に充てることができます。廃業(事業の清算)を選んだ場合、設備や什器の処分費用がかかることが多く、積み上げてきた「のれん」(ブランド力・顧客基盤・ノウハウなどの無形の価値)に対する評価はほとんど得られません。M&Aであれば、こうした無形の価値も含めて対価を得られる可能性がある点が大きな違いです。
従業員・利用者へのサービス継続
訪問看護は在宅で療養する利用者にとって欠かせないライフラインです。廃業を選べば、利用者は新たな事業所を自ら探す必要に迫られ、看護師をはじめとするスタッフも職を失います。M&Aによって経営基盤の安定した法人に事業を引き継ぐことができれば、利用者は住み慣れた地域でサービスを受け続けられ、スタッフの雇用も維持されやすくなります。地域の在宅医療インフラを守るという観点からも、M&Aは廃業に比べて社会的な影響が小さい選択肢といえます。
個人保証・経営リスクからの解放
中小企業の経営者の多くは、金融機関からの借入に対して個人保証を提供しています。M&Aによって経営権を譲渡すれば、多くの場合、個人保証の解除・引き継ぎに関する交渉が可能になり、経営者自身が抱えてきた資金繰りや人材確保のプレッシャーからも解放されます。ただし、個人保証の解除は買い手や金融機関との交渉次第であり、必ず解除されると断定できるものではない点には留意が必要です。
売り手が見落としがちなデメリット・リスク
M&Aには多くのメリットがある一方で、事前に把握しておくべきリスクも存在します。誠実な意思決定のためには、良い面だけでなくリスクにも目を向ける必要があります。
提示された条件やリスクへの向き合い方に不安がある場合は、第三者の視点で確認できるセカンドオピニオンの活用も検討してみてください。

看護師・スタッフの離職リスク
訪問看護ステーションにとって、看護師をはじめとするスタッフは事業価値の中核をなす存在です。経営者交代の情報が不用意なタイミング・方法で伝わると、スタッフが将来への不安から離職してしまうリスクがあります。看護師が数名離職しただけでも、稼働できる利用者数に直接影響が出るのが訪問看護の特徴であり、M&A後の事業価値そのものが毀損しかねません。誰に・いつ・どのように伝えるかというコミュニケーション設計は、M&Aの成否を左右する重要な要素です。
買い手の選定を誤るリスク
譲渡価格の高さだけで買い手を選んでしまうと、譲渡後に経営方針や処遇が大きく変わり、スタッフの離職や利用者離れを招くケースがあります。買い手候補の経営方針、訪問看護事業への理解度、既存スタッフの処遇方針などを、価格と同じかそれ以上に重視して見極める必要があります。
想定より譲渡価格が下がるケース
看護師の稼働体制が不安定であったり、特定の管理者・キーパーソンへの依存度が高かったりする事業所は、デューデリジェンス(買収監査)の過程で評価が下がることがあります。また、利用者数の減少傾向や、指定基準を満たすための人員配置に余裕がない状態も、価格交渉においてマイナス要因となり得ます。譲渡を検討し始めた段階で、こうした弱点を把握し、可能な範囲で改善しておくことが、想定価格とのギャップを防ぐことにつながります。
訪問看護M&Aの流れ・プロセスと仲介手数料の考え方
訪問看護M&Aは、準備段階から成約(クロージング)まで、一般的に半年〜1年程度の期間を要します。各フェーズでどのような手続きが行われるのかを事前に把握しておくことで、見通しを持って進めることができます。
M&A全体の標準的な流れをより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。

準備からクロージングまでの標準的な流れ
| フェーズ | 目安期間 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 準備・情報整理 | 1〜2ヶ月 | 決算書・許認可資料等の整理、譲渡の意思決定、支援機関への相談 |
| 買い手候補の選定 | 1〜3ヶ月 | ノンネームシート(匿名の事業概要書)による打診、NDA(秘密保持契約)締結、IM(企業概要書)の開示 |
| トップ面談・条件交渉 | 1〜2ヶ月 | 経営者同士の面談、譲渡条件のすり合わせ |
| 基本合意 | 数週間 | 買い手からのLOI(意向表明書)提示を受けて条件をすり合わせ、必要に応じてMOU(基本合意書)を締結し、独占交渉権を付与 |
| デューデリジェンス(DD) | 1〜2ヶ月 | 財務・法務・労務・許認可等の詳細調査 |
| 最終契約・クロージング | 数週間〜1ヶ月 | DA(最終契約書)の締結、対価の決済、経営権の移転 |
上記はあくまで一般的な目安であり、買い手候補の選定状況や指定手続きの進行によって前後します。
各フェーズで登場する専門用語
M&Aの過程では、耳慣れない専門用語が数多く登場します。NDA(秘密保持契約)は、交渉に先立ち双方が情報漏洩を防ぐために締結する契約です。LOI(意向表明書)は買い手が「この条件でおおむね買収したい」という意思を示す書面で、MOU(基本合意書)はその後、独占交渉権の付与など双方が合意した条件をまとめた書面です。LOI・MOUは、一般に最終契約前の基本条件を整理するための書面ですが、秘密保持・独占交渉権・準拠法・費用負担などの一部条項には法的拘束力を持たせることがあるため、どの条項に拘束力があるのかを個別に確認する必要があります。最終的な譲渡条件はデューデリジェンスの結果を踏まえてDA(最終契約書)で確定します。デューデリジェンスでは、買い手側の専門家(公認会計士・弁護士等)が財務状況、指定基準の遵守状況、労務管理の適正性などを詳細に調査します。契約書には表明保証(売り手が開示した情報が真実であることを保証する条項)が盛り込まれることが一般的で、事後的に虚偽が判明した場合の補償に関する取り決めとなります。
仲介会社やFA(フィナンシャルアドバイザー)に支払う手数料は、多くの場合「レーマン方式」という段階的な料率で計算されます。これは譲渡金額の階層(例:5億円以下の部分、5億円超10億円以下の部分など)ごとに異なる料率を掛け合わせて算出する方式で、中小M&Aガイドライン(第3版、2024年8月改訂)にも言及がありますが、業界全体で統一された公式の標準料率が存在するわけではありません。仲介会社によって料率設定や最低手数料(着手金・中間金・成功報酬の有無を含む)が異なるため、契約前に手数料体系を必ず書面で確認することが重要です。
訪問看護M&Aの企業価値評価と譲渡価格の相場
譲渡価格がどのように決まるのかは、多くの経営者が最も気になるポイントでしょう。ただし、訪問看護M&Aの譲渡価格には公的機関が公表する統一相場は存在せず、あくまで個別の事業所の状況によって大きく変動する点を前提として理解しておく必要があります。
インカムアプローチ・コストアプローチ・マーケットアプローチといった企業価値評価の考え方については、こちらでさらに詳しく解説しています。
主な評価手法
訪問看護M&Aの企業価値評価では、主に3つのアプローチが用いられます。インカムアプローチは、将来生み出すと見込まれるキャッシュフローを現在価値に割り引いて評価する方法で、代表的な手法にDCF法(Discounted Cash Flow法)があります。コストアプローチ(純資産法)は、貸借対照表上の純資産を基準に評価する方法で、時価純資産法などが用いられます。マーケットアプローチは、類似する取引事例や上場企業の評価倍率を参考に算出する方法で、EBITDAマルチプル(EBITDA=利払い・税引き・減価償却前利益に一定の倍率を掛ける方法)が代表例です。
中小企業のM&Aでは、これらを踏まえた簡便な算定方法として「年買法」(時価純資産に、営業利益の数年分を「のれん」として加算する評価方法)が用いられることがあります。ただし年買法は公的な統一評価基準ではなく、単独で価格を決定づけるものでもありません。他の評価手法や交渉状況とあわせて総合的に価格が決まっていく点に注意が必要です。
一部のM&A仲介会社等が公開している情報では、訪問看護ステーションの譲渡価格の目安として、時価純資産に営業利益の2〜5年分程度を加算する例が紹介されることがあります。都市部と地方で評価倍率に差があると解説される例もありますが、これはあくまで民間事業者が公開している一例に過ぎず、公的機関が定める統一基準ではありません。具体的な成約金額を断定的に示すことはできず、個別事業所の状況次第で大きく変動する点をご理解ください。
価格を左右する変動要因
譲渡価格に影響を与える主な要因としては、看護師の人員体制と定着率、利用者数とその推移、対応可能な疾患・医療処置の幅、複数拠点展開の有無、立地条件(競合事業所の密度・地域包括ケアシステムとの連携状況)、指定基準の遵守状況などが挙げられます。特に看護師の稼働体制は訪問看護特有の重要な評価要素であり、特定の看護師への依存度が高い事業所は、その看護師が離職した場合のリスクを織り込んで評価が下がる傾向があります。逆に、複数の看護師でシフトが組めており、管理者以外にも中核となるスタッフが育っている事業所は、事業の継続性が評価されやすくなります。
正確な評価額を知るには、実際の決算内容や人員体制をもとに専門家による査定を受けることが不可欠です。中立的な立場の専門家に相場観を確認しておくことで、仲介会社から提示された条件が妥当かどうかを判断しやすくなります。
提示された譲渡条件が適正かどうか判断がつかない場合は、利害関係のない第三者の視点で確認することも一つの選択肢です。M&Aインサイトの無料セカンドオピニオンをご活用ください。
訪問看護業界特有の論点|行政手続きとキーマン承継
訪問看護M&Aには、他業種のM&Aにはない業界特有の論点が存在します。ここでは特に見落とされやすい2点を取り上げます。
指定事業者の変更に伴う行政手続き
訪問看護ステーションは、介護保険法・健康保険法に基づき、都道府県・指定都市・中核市などから「指定訪問看護事業者」としての指定を受けて運営しています。株式譲渡の場合、法人格は存続するため、原則として指定の再取得は不要で、経営者(代表者)や運営規程の変更届を提出する対応が中心となります。一方、事業譲渡の場合は、事業を引き継ぐ買い手側の法人が新たに指定を取得し直す必要が生じるケースが一般的です。
いずれの手法でも、指定権者への変更届・指定申請、利用者への説明と重要事項説明書の再交付、居宅介護支援事業所など連携先への通知、各種契約(賃貸借契約、リース契約、業務委託契約等)の名義変更といった実務対応が発生します。これらの手続きには一定の期間を要するため、クロージングのスケジュールに手続き期間を織り込んでおくことが重要です。行政手続きの詳細は自治体によって運用が異なる部分もあるため、早い段階で管轄の担当窓口に確認しておくと安心です。
管理者・キーパーソンの引き継ぎ
訪問看護ステーションの指定基準では、常勤の管理者として保健師・助産師・看護師のいずれかを配置することが求められています(指定訪問看護の事業の人員及び運営に関する基準)。経営者自身が管理者を兼務しているケースも多く、この場合、経営者の交代がそのまま管理者の交代を意味することがあります。管理者が交代する場合も行政への届出が必要になるほか、利用者・主治医・ケアマネジャーなど関係者との信頼関係を新しい体制でどう維持するかが、譲渡後の運営を左右する重要な論点になります。
創業経営者が長年一人で担ってきた「顔の見える関係」を、譲渡後も一定期間は継続してもらう「ロックアップ条項」(キーマン条項)を契約に盛り込み、経営者に一定期間の在籍・関与を求めるケースもあります。これは、同業他社への転職や起業を制限する「競業避止条項」とは異なる概念であり、あくまで円滑な引き継ぎのために、経営者自身がしばらく現場に関与し続けることを取り決めるものです。譲渡後にどこまで関与を続けるかは、経営者自身の意向とも関わる重要な交渉ポイントになります。
失敗しやすいパターンと対策
訪問看護M&Aで生じやすい失敗パターンを把握しておくことで、事前に対策を講じることができます。
看護師流出を防ぐPMIのポイント
M&A成約後の統合プロセスはPMI(Post Merger Integration)と呼ばれ、訪問看護M&Aにおいては特に「人の引き継ぎ」が成否を分けるといわれています。よくある失敗パターンは、経営者交代の情報開示が遅れ、噂や不確かな情報が先に広まってしまうケースです。スタッフは経営者本人の口から、譲渡の背景や今後の処遇方針について直接説明を受けることで、不安を軽減しやすくなります。
対策としては、成約が固まった段階で、管理者クラスのキーパーソンには早めに個別説明の機会を設け、一般スタッフへの周知タイミングと伝え方を買い手側とすり合わせておくことが挙げられます。また、給与・勤務条件が譲渡後も維持される、あるいはどう変わるのかを具体的に説明できるよう、買い手側と事前にすり合わせておくことも欠かせません。
利用者・地域連携への配慮
訪問看護ステーションは、主治医・ケアマネジャー・地域包括支援センターなど多くの関係機関と連携しながらサービスを提供しています。経営者交代によってこうした地域連携の窓口が急に変わると、利用者やケアマネジャーが不安を感じ、紹介の減少につながるおそれがあります。譲渡後も既存の連携先との関係を丁寧に引き継ぐこと、利用者への説明を適切なタイミングで行うことが、事業価値の毀損を防ぐ上で重要です。
訪問看護M&Aを成功させるためのチェックリスト
譲渡を検討し始めた段階で、以下の項目を確認しておくと、後の交渉やデューデリジェンスがスムーズに進みやすくなります。
信頼できる相談先の選び方に迷う場合は、以下の比較ガイドも参考にしてください。

- 直近3期分の決算書・試算表を整理できているか
- 看護師をはじめとするスタッフの雇用契約・勤務条件を書面で確認できる状態にあるか
- 指定基準(人員配置・運営規程等)を満たしているか、指定更新の時期はいつか
- 利用者数・要介護度別の内訳・稼働率の推移を数値で把握しているか
- 賃貸借契約・リース契約・業務委託契約など、名義変更が必要な契約を洗い出せているか
- 個人保証の有無と、金融機関からの借入残高を整理できているか
- 情報開示のタイミング・範囲について、家族や共同経営者と方針を共有できているか
- 手数料体系(レーマン方式の料率、最低手数料の有無)を複数の支援機関で比較したか
- 提示された譲渡条件について、仲介会社以外の第三者の視点で確認したか
よくある質問(FAQ)
Q1. 小規模な訪問看護ステーション(スタッフ数名程度)でもM&Aの対象になりますか? A. なります。むしろ後継者不在に悩む小規模事業所こそ、M&Aによる第三者承継が有効な選択肢となるケースが多くあります。規模が小さいことを理由に譲渡を諦める前に、専門家へ相談してみることをおすすめします。
Q2. 譲渡の話を進めていることが、スタッフや利用者に知られてしまわないか心配です。 A. M&Aの初期段階では、社名や所在地を伏せた「ノンネームシート」を使って買い手候補への打診を行い、具体的な交渉に入る前にNDA(秘密保持契約)を締結するのが一般的です。情報開示の範囲とタイミングは経営者自身がコントロールできる部分が大きいため、支援機関と相談しながら慎重に進めることができます。
Q3. 譲渡価格はどのように決まりますか?相場はありますか? A. 中小規模の訪問看護M&Aでは、時価純資産に営業利益の数年分を加算する「年買法」が簡便な目安として用いられることがありますが、実務ではインカムアプローチ(DCF法等)やマーケットアプローチ(EBITDAマルチプル等)など複数の評価手法を踏まえて価格交渉が行われます。公的機関による統一相場は存在せず、看護師の人員体制や利用者数の推移など事業所ごとの状況によって大きく変動します。断定的な相場を示すことはできないため、個別の査定を受けることをおすすめします。
Q4. M&A後も今まで通り利用者にサービスを提供し続けられますか? A. 買い手が訪問看護事業の継続を前提に譲り受けるケースが大半であり、多くの場合サービスは継続されます。ただし、買い手の経営方針によって運営体制が変わる可能性はあるため、譲渡条件の交渉段階で、サービス継続や雇用維持に関する方針を明確に確認しておくことが重要です。
Q5. 仲介会社に相談すると、必ずその会社を通じて譲渡しなければなりませんか? A. 契約形態によります。仲介契約やFA契約では、一定期間、他の仲介会社への依頼や買い手との直接交渉を制限する「専任条項」が設けられることがあります。契約前に、専任条項の有無や契約期間、途中解約の条件を確認しておくことが大切です。
Q6. 譲渡を検討し始めた段階で、まず何をすればよいですか? A. まずは自社の決算状況や人員体制、指定基準の遵守状況を整理し、譲渡の選択肢について中立的な立場の専門家に相談することから始めるとよいでしょう。仲介会社に相談する前の段階で、第三者の視点から状況を整理しておくことで、その後の交渉に主体的に臨みやすくなります。
まとめ
訪問看護M&Aは、後継者不在や人材確保の難しさに直面する経営者にとって、事業と雇用、そして利用者の療養生活を次の世代へつなぐための現実的な選択肢です。市場全体は拡大を続ける一方、小規模事業所の廃止・休止も過去最高水準で発生しており、経営が安定しているうちに選択肢を検討しておくことの重要性は増しています。
譲渡価格の相場や手数料体系には公的な統一基準がなく、仲介会社によって提示される条件もさまざまです。だからこそ、提示された条件が本当に適正なのか、仲介会社や買い手の意向に偏っていないかを、利害関係のない第三者の視点で確認するプロセスが重要になります。
訪問看護M&Aの進め方や、提示された条件の妥当性について不安がある方は、完全無料・成功報酬なしのM&Aセカンドオピニオンにご相談ください。
監修者:森沢雄太(一般社団法人M&Aセカンドオピニオン協会 代表理事/日本M&Aセンター出身/M&A成約実績100件超)