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旅行会社のM&A|旅行業登録の承継と売却の注意点

この記事の監修者

森沢 雄太
一般社団法人
M&Aセカンドオピニオン協会
代表理事
外資系銀行でのウェルスマネジメント業務を経て、日本M&Aセンターに入社。譲渡側アドバイザーとして100件超の成約に関与し、野村證券出向や福岡支店立ち上げも経験。2018年に日本投資ファンド立ち上げに参画し、投資先の再生にも成功。2022年、合同会社M&Aプレップを創業し、仲介会社・ファンドへの支援やオーナー向け売却準備、買収支援など幅広く展開。2024年には売却支援事業拡大のため株式会社企業経営支援機構を設立し代表に就任。加えて、M&Aにおける利益相反や情報格差の是正を目的とし、代表理事として一般社団法人M&Aセカンドオピニオン協会を設立。
旅行会社・旅行代理店のM&Aとは

「後継者が見つからないまま、体力的にも経営を続けるのが難しくなってきた」「コロナ禍を乗り越えたものの、単独でインバウンド需要の急回復に対応できる投資余力がない」——旅行会社を経営する方の中には、こうした悩みを抱えながら日々の業務に追われている方も少なくないのではないでしょうか。
後継者不在は旅行業界に限った問題ではありませんが、中小規模の旅行会社・旅行代理店では、経営者自身が長年の業界経験や取引先とのネットワークを一身に背負っているケースが多く、後継者への引き継ぎが特に難しい業種のひとつとされています。加えて、インバウンド需要の急回復によって競争環境が大きく変化する中、単独での事業継続に不安を感じる経営者が増えているのも事実です。
こうした状況で選択肢のひとつとなるのが、M&A(Mergers and Acquisitions=合併と買収)です。M&Aと聞くと「会社が乗っ取られる」「身売り」といったネガティブなイメージを持つ方もいますが、実際には後継者問題の解決や従業員の雇用継続、さらには売却によって得た資金で新たな挑戦を始めるための手段として、中小企業の間で広く活用されるようになっています。
M&Aの目的・手法・流れといった全体像を体系的に確認したい方は、以下の記事もあわせてご覧ください。

旅行業は観光庁長官または都道府県知事の登録を受けなければ営業できない許認可事業であり、M&Aの実務においても他業種にはない固有の論点が存在します。旅行業の登録区分は、取り扱える旅行契約の範囲によって第1種旅行業・第2種旅行業・第3種旅行業・地域限定旅行業者・旅行業者代理業に分かれており、どの区分の登録を持つ会社かによって、M&A時に確認すべきポイントも変わってきます(観光庁「旅行業法概要」)。
そこで本記事では、旅行会社・旅行代理店のM&Aについて、市場動向、手法の違い、売り手側のメリット・デメリット、具体的な流れ、企業価値評価と相場、費用・手数料、そして旅行業ならではの許認可承継の実務まで、売り手経営者の視点に立って網羅的に解説します。M&Aを検討する上での判断材料として、ぜひ参考にしてください。
旅行業界の市場動向|インバウンド回復とM&A活発化の背景

旅行会社のM&Aを検討する上では、まず業界全体がどのような状況に置かれているのかを把握しておくことが重要です。
観光庁の発表によれば、2025年の訪日外国人数は4,268万3,600人となり、初めて4,000万人を突破しました。訪日外国人旅行消費額も前年比16.4%増の9兆4,559億円に達し、いずれも過去最高を更新しています(観光庁「インバウンド消費動向調査2025年暦年(速報)」2026年1月公表)。国別の消費額シェアでは中国(21.2%)、台湾(12.8%)、米国(11.9%)、韓国(10.4%)、香港(5.9%)の上位5市場で全体の62.2%を占めており、市場が特定の国・地域に偏りやすい構造もうかがえます。
一方、国内旅行の分野では、観光庁が集計する主要旅行業44社・グループの2025年度(2025年4月〜2026年3月)の総取扱額は前年度比5.3%増の約3兆9,750億円となりました。内訳は国内旅行が3.5%増の約2兆2,940億円、海外旅行が7.1%増の約1兆4,309億円、訪日インバウンドが12.9%増の約2,502億円で、いずれもプラス成長を記録しています(観光庁「主要旅行業者の旅行取扱状況年度総計」2026年6月公表)。
こうした回復基調は、コロナ禍で大きな打撃を受けた旅行業界にとって明るい材料である一方、業界内の構造変化も進んでいます。コロナ禍を機に廃業・撤退した事業者がある一方で、体力のある大手・準大手の旅行会社が、インバウンド需要の取り込みや地域特化型のノウハウ獲得を目的に、中小規模の旅行会社や関連事業者を買収する動きもみられます。デジタル化への対応やOTA(オンライン旅行代理店)との連携強化も、M&Aが選択される背景のひとつです。
このような環境の変化は、後継者不在に悩む中小旅行会社にとって、単に「継続が難しいから売る」という消極的な選択だけでなく、「大手の経営資源を活用して事業をさらに成長させる」という前向きな選択肢としてもM&Aが機能し得ることを示しています。
旅行会社M&Aの手法と違い

M&Aと一口に言っても、実際にはいくつかの手法があり、それぞれ手続きの複雑さや売り手・買い手への影響が異なります。中小企業のM&Aで多く用いられる代表的な手法を比較すると、以下のようになります。
| 手法 | 概要 | 売り手への影響 | 手続きの特徴 |
|---|---|---|---|
| 株式譲渡 | 会社の株式を買い手に譲渡し、経営権を移転する | 会社そのものは存続し、法人格に変更はない | 中小M&Aで最も多く用いられる。手続きが比較的シンプル |
| 事業譲渡 | 事業の全部または一部(資産・契約・従業員等)を個別に譲渡する | 譲渡対象外の事業・資産は売り手に残る | 契約・許認可の個別移転が必要で手続きが煩雑になりやすい |
| 会社分割 | 会社の事業に関する権利義務を包括的に他社へ承継させる | 吸収分割・新設分割で手続きが異なる | 会社法上の手続き(吸収分割契約の承認等)が必要 |
| 合併 | 複数の会社が1つの会社に統合される | 消滅会社は法人格を失う | 中小企業では稀だが、グループ内再編等で用いられる |
株式譲渡は、会社の権利義務の主体そのものに変更を生じさせないため、旅行業登録や取引先との契約関係が原則としてそのまま維持されやすいという特徴があります。一方、事業譲渡は特定の事業のみを切り出して譲渡できる柔軟性がある反面、旅行業登録をはじめとする許認可は自動的には移転せず、買い手側での新規取得や変更手続きが必要になるケースが多い点に注意が必要です(この点は本記事の後半で詳しく解説します)。
中小企業のM&Aで最も多く用いられる株式譲渡の仕組みや手続きについては、こちらでさらに詳しく解説しています。
なお、事業の全部または重要な一部を譲渡する場合には、会社法467条に基づき原則として株主総会の特別決議が必要です。ただし、譲渡する資産の帳簿価額が総資産額の5分の1以下である場合は、この決議が不要となる「簡易譲渡」の例外が設けられています。この5分の1基準は、会社法467条上、株主総会特別決議を要する「重要な一部の譲渡」に当たるかどうかを形式的に区切るための基準であり、会社分割の簡易分割・略式分割とは根拠となる制度が異なる点に留意してください。
旅行会社を売却する(譲渡側の)メリット

旅行会社の経営者がM&Aによる売却を選択する背景には、いくつかの共通したメリットがあります。
第一に、後継者問題の解決です。親族内に後継者がいない、あるいは従業員承継(役員・従業員への引き継ぎ。MBO・EBOを含む場合があります)が難しい場合でも、M&Aによって社外の第三者に事業を引き継ぐことで、廃業を回避し事業を存続させることができます。中小企業庁が所管し全国47都道府県48か所に設置されている事業承継・引継ぎ支援センターの実績を見ても、第三者承継(M&A)による事業承継の件数は年々増加傾向にあります。
第二に、従業員の雇用継続です。廃業を選んだ場合、従業員は職を失うことになりますが、M&Aによって事業が存続すれば、雇用を維持しながら会社の看板を残すことができます。買い手企業の経営基盤・ブランド力を活用できることで、従業員にとってもキャリアの安定につながる場合があります。
第三に、売却によるまとまった資金(売却益)を得られる点です。長年築いてきた事業の価値を現金化することで、経営者自身のセカンドキャリアや、個人保証・経営者保証からの解放といった形でメリットを享受できます。なお、個人株主が株式譲渡によって得た譲渡益には、申告分離課税として20.315%(所得税及び復興特別所得税15.315%、住民税5%)の税率が課される点は押さえておきたいポイントです(国税庁タックスアンサーNo.1463)。ただし、令和8年度税制改正によりミニマムタックス(極めて高い水準の所得に対する追加課税制度)の基準が見直され、2027年分以後は非常に高額な株式譲渡益について実効的な税負担が上振れする可能性があります。売却額が大きくなりそうな場合は、税理士に最新の税制を確認することをおすすめします。
第四に、買い手企業の経営資源を活用した事業拡大の可能性です。大手・準大手の旅行会社グループの傘下に入ることで、単独では難しかった販売網の拡大、デジタル化への対応、インバウンド需要の取り込みなどが実現しやすくなる場合があります。
旅行会社を売却する際のデメリット・注意点

一方で、M&Aによる売却には見落とされがちなデメリットやリスクも存在します。売り手として事前に理解しておくべき点を整理します。
まず、経営権の喪失です。株式譲渡によって会社の経営権は買い手に移転するため、売却後は経営方針の決定権を持てなくなります。従業員の待遇や社名・ブランドの継続についても、契約内容次第では売り手の意向が反映されない可能性がある点は留意が必要です。
次に、企業文化の統合における摩擦です。買い手企業と売り手企業とでは、業務フローや社風、システムなどが異なることが多く、統合プロセス(PMI=Post Merger Integration)がうまく進まないと、従業員のモチベーション低下や離職につながるおそれがあります。
また、期待していたシナジー効果が必ずしも得られるとは限りません。M&A時に想定した相乗効果が、実際の統合後に実現しないケースもあるため、過度に楽観的な期待は禁物です。
さらに、表明保証違反のリスクにも注意が必要です。最終契約書(DA)では、売り手が開示した会社の財務状況や法的状況について、事実と相違がないことを保証する「表明保証」条項が設けられるのが一般的です。売却後に未開示の簿外債務や訴訟リスクが発覚した場合、表明保証違反として損害賠償責任を負う可能性があります。ディスクロージャーレター(把握している例外事項を開示する書面)を用いて、事前に開示済みの事項については責任を限定する実務慣行もありますが、契約内容の確認は専門家とともに慎重に行う必要があります。
こうしたリスクを正しく理解しないまま交渉を進めてしまうと、後になって「思っていた条件と違った」という事態になりかねません。契約条件の妥当性について不安がある場合は、仲介会社やFA(ファイナンシャル・アドバイザー)の説明を鵜呑みにせず、中立的な第三者に意見を求めるのも一つの方法です。
契約条件の妥当性に不安がある場合は、中立的な第三者の視点であるM&Aセカンドオピニオンの活用も選択肢のひとつです。

旅行会社M&Aの流れ・プロセス

旅行会社のM&Aは、一般的に以下のようなステップで進みます。それぞれの期間はあくまで目安であり、案件の規模や複雑さによって前後します。
検討・準備からクロージング・PMIまでの一般的なM&Aの流れについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
まず「準備・仲介会社/FAの選定」の段階です。自社の事業内容や財務状況を整理し、M&A仲介会社やFAと秘密保持契約(NDA)を締結した上で、企業概要書(IM)やノンネームシート(社名を伏せた概要書)を用いて買い手候補への打診が始まります。この段階には1〜3か月程度を要するのが一般的です。
次に「候補先の選定・トップ面談」です。買い手候補との面談を通じて、事業の方向性や条件のすり合わせを行います。ここで双方の相性やビジョンの一致が確認できれば、次のステップに進みます。期間の目安は1〜2か月程度です。
続いて「基本合意書(LOI・MOU)の締結」です。基本合意書は、譲渡側が特定の譲受側に絞って交渉を進めることを決定した時点での、その時点における了解事項を確認する書面です(中小M&Aガイドライン第3版)。譲渡価格やスキームなど主要な取引条件は非拘束とし、独占交渉権や秘密保持義務など一部の条項にのみ法的拘束力を持たせる「ハイブリッド型」の整理が実務では一般的です。この段階を経て、買い手候補には一定期間、独占的に交渉を行う権利(独占交渉権)が認められることが多く、その期間は実務上2〜3か月程度を目安とする例が多く見られます。
その後「デューデリジェンス(DD)」に進みます。買い手が売り手企業の財務・法務・事業の実態を精査するプロセスで、1〜2か月程度かかるのが一般的です。旅行業の場合、旅行業登録の状況、旅行業務取扱管理者の配置状況、営業保証金や弁済業務保証金分担金の状況、取引先旅行会社・宿泊施設との契約内容なども確認対象になります。
DDの結果を踏まえて「最終契約書(DA)の締結・クロージング」に至ります。最終契約書では譲渡価格や表明保証、クロージングの前提条件などが定められ、契約内容に従って株式・対価の受け渡し(クロージング)が実行されます。株式譲渡契約書は、国税庁タックスアンサーNo.7100「印紙税の課税される文書、課税されない文書」等に示される課税文書の類型に該当しないため、一般に印紙は不要と解されています。ただし契約書の記載内容によっては他の課税文書の性質を併せ持つ場合もあるため、個別の契約書については税理士等に確認することが望ましいでしょう。
クロージング後は「PMI(統合プロセス)」が始まります。中小企業庁が策定した中小PMIガイドラインでは、経営体制の統合、業務プロセスのすり合わせ、企業文化の融合などを計画的に進めることの重要性が示されています。譲渡後も一定期間、前経営者が引き続き経営に関与する「ロックアップ(キーマン条項)」が設けられる場合もあります。
全体を通じて、準備開始からクロージングまで半年〜1年程度を要するケースが多いとされていますが、案件の規模や交渉の難易度によって大きく変動する点は理解しておく必要があります。
旅行会社の企業価値評価と売却価格の相場

M&Aにおいて、売却価格(企業価値)をどのように算定するかは、売り手経営者にとって最大の関心事のひとつでしょう。中小M&Aガイドライン第3版では、時価純資産法・マルチプル法(類似会社比較法)・DCF法など、複数のアプローチを組み合わせて評価することが推奨されています。
時価純資産法・マルチプル法・DCF法といった企業価値評価の具体的な考え方については、こちらの記事も参考にしてください。
時価純資産法は、貸借対照表上の資産・負債を時価に修正した上で純資産額を算定する方法です。加えて、営業権(のれん)に相当する部分として、将来の利益を一定年数分加算する「年買法」と呼ばれる簡便な考え方が中小企業のM&A実務でよく用いられます。ただし、年買法は単独で公式に位置づけられた手法というよりも、複数ある簡便な評価アプローチのひとつとして理解しておくのが実務上は安全です。
マルチプル法(EBITDAマルチプル等)は、類似する業種・規模の企業の売買実績や株価をもとに、対象会社の一定の利益指標に倍率を掛けて評価する方法です。DCF法は、将来生み出すと見込まれるキャッシュフローを現在価値に割り引いて評価する方法で、事業計画の精度が評価結果を左右しやすいという特徴があります。
旅行会社の企業価値評価では、取扱高や粗利率だけでなく、旅行業登録の区分(第1種か第2種か等)、保有する取引先・仕入れ先とのネットワーク、リピーター比率、地域特化型のノウハウ、デジタル対応力(自社予約サイト・OTA連携の有無)といった無形の要素も評価に影響を与えます。具体的な売却価格は個別事情によって大きく異なるため、断定的な相場を提示することは適切ではありませんが、企業価値評価の考え方について詳しく知りたい場合は、複数の評価手法を理解した専門家に相談し、自社の状況に即した評価を受けることが望ましいでしょう。
M&Aにかかる費用・手数料

M&A仲介会社やFAに支払う手数料の代表的な算定方式として、レーマン方式があります。レーマン方式は、譲渡金額(または移動総資産額など)を一定の金額帯(階層)に区切り、それぞれの階層ごとに定められた料率を適用して合算する累進的な計算方式です。「譲渡金額全体に単一の料率を掛ける」というよりも、階層ごとに異なる料率を積み上げて算出する点に注意してください。なお、算定基準には株式価値のみを対象とする「株価ベース」、株式価値に負債総額を加える「移動総資産ベース」など複数の考え方があり、どの基準を採用するかで手数料の金額が変わってきます。
階層ごとに料率が積み上がるレーマン方式の詳しい仕組みについては、こちらで解説しています。
中小M&Aガイドライン第3版では、契約締結前の書面説明義務として、仲介者・FAの違いや提供業務の範囲、手数料の算定方法・料率テーブル・最低報酬額、テール条項(契約終了後一定期間の成功報酬請求権)などを含む複数の項目の事前開示が求められています。また、令和6年度(2024年度)より、M&A支援機関登録制度(ma-shienkikan.go.jp)の登録要件として、登録支援機関が自社の手数料体系を制度のデータベース上で公表することが求められています。
費用の内訳としては、着手金・中間金・成功報酬(レーマン方式による算定が一般的)のほか、デューデリジェンスを税理士・弁護士等の専門家に依頼する場合の調査費用、契約書作成に関する専門家費用などが発生します。事業承継・M&A補助金(専門家活用枠)では、登録M&A支援機関の活用費用の一部が補助対象となる制度も用意されているため、費用面で不安がある場合は活用を検討する価値があります。
手数料や報酬額については、必ず契約締結前に書面で説明を受け、算定根拠に納得した上で契約を進めることが重要です。
旅行業ならではの論点|旅行業登録・営業保証金の承継実務

旅行会社のM&Aを検討する上で、他業種にはない固有の論点として押さえておきたいのが、旅行業登録と営業保証金・弁済業務保証金分担金の取り扱いです。
旅行業を営むには、業務範囲に応じて第1種旅行業(国内・海外の募集型企画旅行を含む全ての旅行契約を取り扱え、観光庁長官の登録)、第2種旅行業(海外の募集型企画旅行を除く旅行契約を取り扱え、都道府県知事の登録)、第3種旅行業、地域限定旅行業者(取り扱える旅行の範囲が、営業所の存する市町村、これに隣接する市町村、および観光庁長官が別途定める区域に限定される)、旅行業者代理業のいずれかの登録を受ける必要があります(観光庁「旅行業法概要」)。
M&Aの実務において重要なのは、旅行業登録の承継可否がM&Aのスキームによって異なるという点です。株式譲渡の場合は、登録の主体である法人格そのものに変更が生じないため、登録は通常そのまま維持されます。一方、事業譲渡や合併・会社分割といった組織再編を伴うスキームでは、旅行業登録に包括的な承継の仕組みが用意されていないため、登録は当然には引き継がれません。旅行業登録のある会社を合併する場合、存続会社に登録が自動的に移行するわけではなく、存続会社が旅行業登録を保有していない場合は、合併前に新規登録を受けておく必要があるとされています。事業譲渡についても、譲受側が旅行業登録を保有していなければ、原則として新規登録が必要になります。
スキーム別の扱いを整理すると、以下のようになります。
| M&Aのスキーム | 旅行業登録の扱い |
|---|---|
| 株式譲渡 | 法人格が同一のため、登録は通常維持される |
| 事業譲渡 | 登録は当然には承継されず、譲受側での新規登録が必要 |
| 合併・会社分割 | 承継の包括的な仕組みがなく、存続会社・新設会社での新規登録・変更手続きが必要 |
いずれのスキームでも、当事会社の登録状況や案件の個別事情によって具体的な手続きが異なるため、観光庁または都道府県の担当窓口、旅行業に詳しい行政書士等へ事前に確認しておくことが重要です。
また、旅行業者は営業所ごとに1名以上の「旅行業務取扱管理者」を選任することが旅行業法第11条の2で義務付けられています。複数営業所での兼任や名義貸しは原則として禁止されていますが、地域限定旅行業者や、これを所属旅行業者とする旅行業者代理業者については、一定の要件を満たす場合に限り複数営業所の兼任が認められる特例が設けられています。M&A後も各営業所の管理者要件を満たし続けられるかどうかは、事前に確認しておくべき重要なポイントです。
さらに、旅行業者は登録後14日以内に営業保証金を供託所に供託する義務があります(最低供託額は第1種旅行業で7,000万円、第2種旅行業で1,100万円、第3種旅行業で300万円、地域限定旅行業者で15万円。前事業年度の取扱額に応じて増加します)。ただし、旅行業協会(日本旅行業協会=JATA、全国旅行業協会=ANTAなど)の会員になれば、営業保証金の5分の1相当額を「弁済業務保証金分担金」として協会に納付することで、直接の供託が不要になる制度もあります。M&A後にどの体制を維持するのか、協会の会員資格は承継されるのかといった点も、事前にデューデリジェンスで確認しておくべき事項です。
これらの許認可関連の手続きに不備があると、M&A成立後に旅行業の継続そのものに支障が生じかねません。旅行業に精通した行政書士や専門家の助言を受けながら、登録区分・営業保証金・旅行業務取扱管理者の3点を中心に、早い段階から確認を進めることが望ましいでしょう。
インバウンド回復期に生まれる旅行会社M&Aならではの機会

前述の通り、2025年は訪日外国人数・消費額ともに過去最高を更新し、旅行業界全体が回復基調にあります。この局面は、旅行会社M&Aにおいて他業種とは異なる独自の機会を生み出しています。
ひとつは、地域特化型のノウハウを持つ中小旅行会社への注目です。全国的な販売網を持つ大手旅行会社であっても、特定エリアの着地型観光や地域の宿泊施設・交通事業者との関係性までは一朝一夕に構築できません。地域に根ざした中小旅行会社が持つネットワークは、大手にとって買収によって獲得する価値のある経営資源となり得ます。
もうひとつは、多言語対応や特定国・地域向けのインバウンド送客ノウハウです。前述の通り、2025年の訪日外国人消費額は中国・台湾・米国・韓国・香港の上位5市場で全体の62.2%を占めており、特定の国・地域に強みを持つ旅行会社は、その専門性自体がM&Aにおける評価要素となります。
一方で、インバウンド需要は為替動向や国際情勢、感染症の流行などの外部環境に左右されやすいという特性もあります。買い手側は特定の需要に過度に依存した収益構造でないかを慎重に見極める傾向があるため、売り手としても、国内旅行・海外旅行・インバウンドといった複数の収益源をバランスよく持っていることを、交渉の中で適切にアピールできると評価されやすくなる場合があります。
旅行会社M&Aで実務にそのまま使えるチェックリスト

M&Aの検討を始める前に、以下の項目を自社で確認しておくと、その後の手続きがスムーズに進みやすくなります。
- 自社が保有する旅行業登録の区分(第1種・第2種・第3種・地域限定のいずれか)と登録行政庁を確認しているか
- 各営業所の旅行業務取扱管理者の選任状況・資格区分(国内旅行のみか、総合旅行業務取扱管理者か)を整理しているか
- 営業保証金の供託状況、または旅行業協会(JATA・ANTA等)への加入・弁済業務保証金分担金の納付状況を把握しているか
- 未払い残業代や係争中の訴訟など、帳簿に現れない簿外債務・偶発債務の有無を洗い出しているか
- 取引先の宿泊施設・交通事業者・OTAとの契約書に、M&Aによる契約解除条項(チェンジ・オブ・コントロール条項)が含まれていないか確認しているか
- 経営者による個人保証・経営者保証の有無と、M&A後の解除見込みを確認しているか
- 直近3〜5期分の決算書・税務申告書類が整理されているか
- 従業員の雇用条件(給与・退職金規程等)が整理され、統合後の待遇変更が必要かどうか検討しているか
これらを事前に整理しておくことで、デューデリジェンスの段階で慌てることなく、買い手との交渉にも余裕を持って臨むことができます。
旅行会社M&Aで失敗しやすいパターンと対策

M&Aは慎重に進めたつもりでも、思わぬところでつまずくことがあります。旅行会社のM&Aで特に見られやすい失敗パターンと、その対策を紹介します。
第一に、許認可の承継漏れです。前述の通り、事業譲渡や合併・会社分割といった組織再編では旅行業登録が当然には承継されないため、必要な新規登録・変更手続きを怠ると、M&A成立後に旅行業を継続できなくなるおそれがあります。対策として、契約締結前の段階から旅行業に詳しい行政書士等の専門家を交えて、自社が採用するスキームでの手続きスケジュールを確認しておくことが重要です。
第二に、条件交渉を仲介会社・買い手企業任せにしてしまうケースです。仲介会社やFAは双方の合意形成を支援する立場にありますが、提示された条件が本当に自社にとって妥当かどうかは、売り手自身が納得できるまで確認する必要があります。特に手数料の算定根拠や、企業価値評価の前提条件については、疑問点をそのままにせず質問することが大切です。
第三に、統合プロセス(PMI)を軽視してしまうケースです。M&A成立をゴールと捉えてしまい、統合後の企業文化のすり合わせや従業員へのフォローを怠ると、優秀な人材の離職やサービス品質の低下を招くことがあります。中小PMIガイドラインが示すように、基礎的な統合施策だけでも計画的に実行することが望まれます。
第四に、相談するタイミングの遅さです。「もう少し業績が改善してから」「まだ具体的に決めていないから」と相談を先延ばしにするうちに、経営者自身の年齢や体力、業界環境の変化によって選択肢が狭まってしまうケースも見られます。実際に動き出す前の段階からでも、専門家に情報収集の一環として相談しておくことで、いざという時の判断材料が増えます。
よくある質問(FAQ)
Q1. 旅行会社のM&Aは、どのくらいの規模の会社でも対象になりますか。 A. 大手旅行会社によるグループ会社の統合から、従業員数名規模の地域密着型の旅行会社・旅行代理店まで、幅広い規模でM&Aは行われています。小規模であっても、地域特化のノウハウや特定の顧客基盤を評価されて買収対象となるケースは少なくありません。
Q2. 旅行業登録(第1種〜地域限定)を持っていない会社でもM&Aは可能ですか。 A. 可能です。旅行業者代理業(所属旅行業者の代理として旅行業務を行う事業者で、都道府県知事の登録対象です)や、旅行サービス手配業(宿泊・交通等の手配のみを行う事業者向けの別制度の登録が必要です)など、第1種〜地域限定旅行業の登録を持たない形態の事業者もM&Aの対象になります。ただし、いずれも別途登録が必要な事業形態であるため、譲渡対象となる契約関係や許認可の内容は個別に確認が必要です。
Q3. M&Aを検討していることが従業員や取引先に知られてしまうことはありませんか。 A. M&Aの初期段階では、社名を伏せたノンネームシートを用いて買い手候補への打診が行われるのが一般的で、秘密保持契約(NDA)も締結されます。情報開示の範囲やタイミングは仲介会社・FAと相談しながら慎重に管理することが可能です。
Q4. 売却後、これまで一緒に働いてきた従業員の雇用は必ず継続されますか。 A. 雇用条件の扱いは最終契約の内容によって異なります。多くのケースで従業員の雇用継続が前提とされますが、待遇や配置転換の可能性については契約交渉の段階で具体的に確認しておくことが重要です。
Q5. M&A後も、しばらくは今の経営者が会社に残って引き継ぎを行う必要がありますか。 A. 案件によっては、譲渡後も一定期間、前経営者が経営に関与し続ける「ロックアップ(キーマン条項)」が契約に盛り込まれることがあります。引き継ぎ期間の有無や長さは交渉次第であり、必須の条件ではありません。
Q6. 旅行業協会(JATA・ANTA)の会員資格は、M&A後も引き継がれますか。 A. 会員資格の承継可否は協会の規定や個別の状況によって異なるため、M&Aを検討する段階で事前に協会へ確認しておくことをおすすめします。弁済業務保証金分担金の取り扱いとあわせて確認しておくべき事項です。
Q7. M&Aの相談は、どのタイミングで始めるのが適切ですか。 A. 具体的な条件が固まっていない段階でも、情報収集として専門家に相談することは可能です。経営者の年齢や業界環境の変化によって選択肢が狭まる前に、早めに動き出すことが望ましいとされています。
まとめ|旅行会社のM&Aは中立的な視点での判断が重要
旅行会社・旅行代理店のM&Aは、後継者不在の解決や従業員の雇用継続、売却益の獲得といったメリットがある一方で、経営権の喪失や企業文化の統合リスクといったデメリットも伴います。加えて、旅行業登録・営業保証金・旅行業務取扱管理者の配置といった許認可関連の手続きは、他業種にはない旅行業特有の論点として、早い段階から確認しておく必要があります。
2025年のインバウンド需要の過去最高更新という追い風がある一方で、M&Aの条件やスキームの適否は、個々の会社の状況によって大きく異なります。仲介会社やFAから提示された条件を鵜呑みにするのではなく、自社にとって本当に妥当な内容かどうかを、中立的な立場から確認することが、後悔のないM&Aにつながります。
なお、本記事はM&A実務の一般的な考え方を整理したものであり、個別の税務・法務判断については、税理士・弁護士等の専門家に確認することをおすすめします。制度・統計データは執筆時点(2026年)のものであり、最新情報は観光庁・国税庁等の公的機関でご確認ください。
監修:森沢雄太(一般社団法人M&Aセカンドオピニオン協会 代表理事/日本M&Aセンター出身/M&A成約実績100件超)